わ た し の の き
と、メンバー紹介
成澤 健司
|NPO法人場作りネット/
株式会社バリューブックス|
【タバコは百害あって一利なし】
なんて事を言われています。反論するつもりもないですし、根拠を示すだけの知識もございません。だけれど、私にとってはのきなのです。200名近くの見ず知らずの方々が参加する研修。周りには大勢の人が存在するのに、気分屋の人見知りはその中で、孤立感が生まれる。グループで参加する人もいる中で、どこのグループにも属せない。「まあ今日一日だけだし、研修を受けに来ているんだし。」そんな言い訳で蓋をして、孤立君をやり過ごす。休憩中、急に降り出した雨から逃れる人の群れのように、講義終了と同時に喫煙所という狭い空間に人が押し寄せる。「さっきの講義眠かったですね。」同じ灰皿を共有する人と会話がはじまる。一日の終わりには、その人と「お疲れ様でした」なんて言葉を交わす。
西山 卓郎
|株式会社バリューブックス/
NPO法人場作りネット|
20代の頃しょっちゅうライブハウスやクラブでのセッションイベントに行っていました。あの、素性も何もお互いわからず、(知りたいともあまり思わなかった気がする)ただただ音の会話に身を置いて、皆で音楽を組み立てていく時間がとてつもない体験だったなと今振り返って思います。何ができるのか、何者なのか、所属が?そんなことをお互いに警戒やともすれば侮蔑と共に知りたいがちな社会とは真逆の場所が僕にとってののきです。
秋山 紅葉
【わたしののき】
思い返せば、人生にいくつかあった
「のき」10個くらいかな
19歳の時に、1つ目に出会ったその人がいなかったら、今も私は塵だった10個のうち、半分は、人もう半分は、自然と哲学
2011年の春自分に何も無くなった時に助けてくれたのは、働く場所と、そこに売りに、買いに、出会いに来る人手作りの小さな野菜の直売所一つ一つのなにげない言葉が、一人一人の野菜にこもった想いが、もう1回生きてみようと思わせてくれた
誰かに助けられる経験、それ自体が今の私の心ののきかもしれない
中村直人
【一人きりの部屋には雨が降り続く】
20年も前の話だが、社会の"はみだしっ子"たちが集まり、声をあげるという会が東京の小さなライブハウスであった。観客席に背を向けながら膝を抱えて詩を読む学生、小学校からつけている絵日記を毎回見せてくれるおじさん、自分を傷つけることを止められないと告白する女の子......僕らは会が終わると、冷凍のたこ焼きをお湯にふやかしてみんなで啜った。ドロドロして、暖かかった。だから当時ひきこもりだった僕は精神安定剤を握りしめて、毎月バスに乗ったのだ。僕の"のき"がそこにあった。"あたりまえ"や"正しさ"は時に冷たすぎる。多様な人の繋がりが、私たちの"のき"になりますように。
元島 生
|NPO法人場作りネット|
(相談支援と、それに伴う場作りを行う団体)
【のきした】
僕は就活をしないまま、社会人になった。スーツ、ネクタイ、ノック、挨拶、すべてが嫌だった。
それは誰かの評価に自分を合わせる事への、アレルギーに近い拒否反応だったように思う。
大学に期待したのは、高校までのような、大人による評価からの解放だけだった。もっと世界は深く、面白いはずだ。それだけを探しに来たのだ。
今更、評価の世界に戻るなんて、絶望でしかなかった。しかし、意に反してと言うべきか、就職はすぐに決まった。
僕は、その頃、発達心理学など、子どもの世界に魅せられており、アポを取り、いくつかの施設を見学して、話を聞いたりしていた。その縁で、ある施設の関係者から声をかけてもらったのだ。
それ以来、僕は縁を頼りに生きてきた。
仕事や活動、住む場所に至るまで、縁による動きを、優先して選択してきた。そして、ことある毎に、その「縁」という概念に救われてきた。
人生は、自分の力だけで動かせるわけではないので、自分だけに責任があることなど一つも存在しない。あらゆる力が相互的に作用しながら、自然は運営されているし、僕は呼吸をしている。
自分の力だけで生きてこれた生物は存在せず、空も木も虫も僕の構成要素だ。
死んだとしてもそれが何だと言うのだろう。歴史も未来さえも僕の構成要素なのだ。
脱線した。
つまり、自分の力で成し遂げようとか、自分の責任で成し遂げようとかすると、その先には挫折があり、絶望がある。すべては縁次第なのだと思っていれば、その時々の必要な流れを感知することができ、より適切な場面でベストを尽くすことができる。そういうことなのかなと思っている。
しかし、社会的なバイアスは根深く、「社会人として」とか「迷惑をかけてはいけない」とか、足をからめとる評価軸が自分の中にも登場してしまう。出来るだけ無視をするように心がけている。
そして、コロナをきっかけにして、始まったこの「のきした」という取り組みは、まさに縁が服を着て歩いているような取り組みだ。コロナ以前から社会に対して、ある問題意識を抱いていた人達が、吸い寄せられるように、犀の角のステージに集まり、それを言語化していった。
コロナがあったからこそ生まれた動きであった。
社会は依然苦しい状態にあり、日々、困難に直面する人達は増えていると思う。
しかし、世の中は、きっと、良くなる。そう信じられる時間を僕は今過ごしている。
これを読んだ人も、これも何かの縁だから、ぜひ、仲間になってください。
苦しい人も、そうじゃない人も。
一緒にもっといい世の中を作りましょう。
野川未央
|NPO法人APLA事務局長|
【いくつもの「のき」】
ご縁があって東ティモールという国に通って10年がたちました。
通い始めたばかりの頃、とある村で過ごしている間、数えきれないほどの子どもたちがわらわらと駆け回っているのを見て、昼ごはんを一緒に食べていたはずの子がその日の夜には向こう側の家で寝ているのを見て、子どもは1人と言っていたはずの男性が(わたしが知っている彼の子どもではない)小さな赤ちゃんを抱っこしてあやしているのを見て、「観察者(NGOスタッフ)」であるわたしは、どの子がどの家の子どもなんだろう?と気になりました。
しばらくすると、そんなことは気にならなくなりました。
地域の中に、何人ものお母さん・お父さん・おばあちゃん・おじいちゃんがいて、数えきれないほどのきょうだいがいて、いくつもの食卓と寝る場所、そして「のき」がある。そんな村で育っていく子どもたちに年に数回会いにいくのが楽しみなわたしは、さながら「親戚のおばちゃん」みたいです。
この街にも、あの子にとって、あなたやわたしにとって、いくつもの「のき」があると嬉しいな、そんな風に思っています。
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